私は医療紛争の当事者ではございませんので、具体的にどうやれば紛争を回避できるかということを直裁にお答えする立場にはありませんが、ただ、沢山の医療事件、医療訴訟を審理していく中で、こんなことがなぜ裁判になったのかという意味で、意外に思うようなことがありました。
それで、逆の意味でこんなことに注意をしていれば、医療訴訟にはならなかったかもしれないというようなことを、若干思い当たる点がありますので、その辺のところをお話できればと考えております。
どういうことをお話しできるかということなのですけれども、医療紛争が発生する前の段階では、基本的には、1つ1つの医療行為の中で患者さんとの関係でできる限り誠実に対応して頂き、その患者さんに今何が問題になっているかということをひとつひとつご説明になって、今の患者さんの状態を患者さんの立場で理解して頂くということを積み重ねていくというのが基本になるのだろうと思っております。
中には、このことが十分出来ていないために患者さん自身が、今自分がどういう状態にあり、どういう治療がどのように進んでおり、これがなぜこうなのかというところが理解されないままに、ある時点において突如何らかの不具合、想いもかけない状態が発生したということで戸惑い、そして、その説明がないことの故にその結果も受け入れられないということで、それは全て病院側、ドクター、あるいはその医療従事者に問題があったためにこの結果が発生したのではないかという疑心暗鬼になり、それが心の中で溜まって、結局医療裁判というところまで発展してしまうような例もございますので、そこらのところが基本的にできているかどうかということはかなり大きなことになるのではないかと思っております。
もうひとつは、ドクターとして説明すべきは説明したとおっしゃるのですが、確かに一定程度の説明はされている、全然していないという例はそんなにないと思います。
ただ、それがどうも患者さんの立場での説明になっているかどうかというところでちょっと疑問がある。
例えば、ある治療で結果的にミスによるものではない不具合が生じた場合、患者さんはドクターの不適切な医療行為が原因であるというのに対し、ドクターとしてはちゃんとした処置等をしているし説明も実施していますと言うのですが、患者さんの立場でいうと、それが理解できていない。
そのことがカルテや看護記録を見ると実は伺える場合があるのです。
看護記録には患者が、看護師さんに対して「この先生は本当に大丈夫なのですかね」という疑問を述べてみたり、あるいは、看護師さんの説明の中にもドクター的にはこうこう、患者さん的にはこうこうという説明が書いてあるのです。
ということは、ドクターはこう説明したつもりなのだけれども、患者さんはそう受け取っていない、患者さんとドクターとの間に齟齬があるということが記録上見えるのです。
そんなことが積み重なってきてしまいまして、結果が発生した時に、実際はそれなりの説明がされているのだけれども、患者さんの納得する説明にはなってない。
後から裁判になって和解(話し合い)の場になった際にドクターに伺ったところ、確かに説明したつもりではあるけれどもその人の立場にたってみると十分でなかったかもしれないと述懐をされていた事例がございます。
医療のミスか、説明不足か、債務不履行や過失といえるかという議論は別にしても、そんな思いを持っていらっしゃるドクターもいらっしゃる。
そういうことが記録から窺える状況もあるということもございますので、ドクターの立場からみて何が必要かということと、患者さんが何を求めて、何を知りたがっているのかということをふまえた説明になっているかどうかということが大事ではないかという印象がもっております。 |