シリーズ「新世紀の医学に向けて(14)
      −医療におけるトラブル回避に向けた裁判官からのアドバイス」
                        
インタビュー日程:平成20年3月10日(月)
インタビューワー:北大病院医療安全管理部長 玉木長良(会員2)
同ジェネラルリスクマネージャー 福島洋子
 
主旨

 安全で安心な医療は患者さんの立場だけではなく、医療者も求めていることです。
医学の限界、医師・医療者としての限界、人としての限界を持ちながら、医療を行う者として、安心して安全に医療行為を行う環境を願っています。
近年、訴訟事案の増加とともに、日常診療でのトラブルが増加し、患者さんとの関係も微妙な状況にあります。
医療事故訴訟に多く係ったご経験から、判事のご立場で医療事故予防とともに医療事故訴訟の減少に向けて、ご助言を頂きたいと思います。
 
インタビュー内容
 
1.医療集中部に来て5年間の感想
 
 医療集中部の発足当初から5年間にわたって医療訴訟を担当してきましたが、それまで医療訴訟を専門的・集中的に取り扱った経験がないものですから、この部署に来てたくさんの医療事件を処理する中で、自分で少しずつ知識を蓄え、経験も積んで、なんとかかんとかこれまでやってきたというのが正直な感想です。

医療集中部ができてから、波はあるものの、毎年40件前後の新しい事件が起こされまして、それに順次当たってきたという事でございますので、経験としてはそれなりの数になると思っております。
 
2.医療紛争回避のための心構え
 

私は医療紛争の当事者ではございませんので、具体的にどうやれば紛争を回避できるかということを直裁にお答えする立場にはありませんが、ただ、沢山の医療事件、医療訴訟を審理していく中で、こんなことがなぜ裁判になったのかという意味で、意外に思うようなことがありました。
それで、逆の意味でこんなことに注意をしていれば、医療訴訟にはならなかったかもしれないというようなことを、若干思い当たる点がありますので、その辺のところをお話できればと考えております。

どういうことをお話しできるかということなのですけれども、医療紛争が発生する前の段階では、基本的には、1つ1つの医療行為の中で患者さんとの関係でできる限り誠実に対応して頂き、その患者さんに今何が問題になっているかということをひとつひとつご説明になって、今の患者さんの状態を患者さんの立場で理解して頂くということを積み重ねていくというのが基本になるのだろうと思っております。

中には、このことが十分出来ていないために患者さん自身が、今自分がどういう状態にあり、どういう治療がどのように進んでおり、これがなぜこうなのかというところが理解されないままに、ある時点において突如何らかの不具合、想いもかけない状態が発生したということで戸惑い、そして、その説明がないことの故にその結果も受け入れられないということで、それは全て病院側、ドクター、あるいはその医療従事者に問題があったためにこの結果が発生したのではないかという疑心暗鬼になり、それが心の中で溜まって、結局医療裁判というところまで発展してしまうような例もございますので、そこらのところが基本的にできているかどうかということはかなり大きなことになるのではないかと思っております。

もうひとつは、ドクターとして説明すべきは説明したとおっしゃるのですが、確かに一定程度の説明はされている、全然していないという例はそんなにないと思います。
ただ、それがどうも患者さんの立場での説明になっているかどうかというところでちょっと疑問がある。

例えば、ある治療で結果的にミスによるものではない不具合が生じた場合、患者さんはドクターの不適切な医療行為が原因であるというのに対し、ドクターとしてはちゃんとした処置等をしているし説明も実施していますと言うのですが、患者さんの立場でいうと、それが理解できていない。
そのことがカルテや看護記録を見ると実は伺える場合があるのです。
看護記録には患者が、看護師さんに対して「この先生は本当に大丈夫なのですかね」という疑問を述べてみたり、あるいは、看護師さんの説明の中にもドクター的にはこうこう、患者さん的にはこうこうという説明が書いてあるのです。
ということは、ドクターはこう説明したつもりなのだけれども、患者さんはそう受け取っていない、患者さんとドクターとの間に齟齬があるということが記録上見えるのです。
そんなことが積み重なってきてしまいまして、結果が発生した時に、実際はそれなりの説明がされているのだけれども、患者さんの納得する説明にはなってない。
後から裁判になって和解(話し合い)の場になった際にドクターに伺ったところ、確かに説明したつもりではあるけれどもその人の立場にたってみると十分でなかったかもしれないと述懐をされていた事例がございます。
医療のミスか、説明不足か、債務不履行や過失といえるかという議論は別にしても、そんな思いを持っていらっしゃるドクターもいらっしゃる。
そういうことが記録から窺える状況もあるということもございますので、ドクターの立場からみて何が必要かということと、患者さんが何を求めて、何を知りたがっているのかということをふまえた説明になっているかどうかということが大事ではないかという印象がもっております。
 
3.患者家族とのトラブル時において
 
(1) 過失が特定されない段階で紛争となることについて

裁判になる前の段階としては、端的に言うと誠実に対応して頂くということ以上にはない。
最終的に医療行為に過失があったか、どうかについては裁判の場で双方主張立証をやって頂いて、その結果裁判所が判断するしか今のところはありません。
そうすると、患者さん側からミスがあったという疑いを持って色々言い立ててくる、病院はないと思っているという状況があるとしても、そこでは決着がつかない訳ですから、病院として誠実に説明を繰り返しやって頂き、こういう理由でこのようになっているのですということをご説明頂くということ以上は答えようがありません。

なお、患者側との紛争において、らちがあかなければ、病院側から債務不存在確認の訴えを起こすという方法があり、病院として患者さんとの関係で賠償義務を負ういわれが全くなく、あえて言えば言いがかりであると考えるのであれば、その患者さんに対して賠償義務がないから、それを確認してほしいということで裁判所に訴えをすることができます。その場合、裁判所が審議をした上で医療行為が適切であるということになれば、債務は存在しない、責任がないということを宣言する判決を出すことが可能です。
実際に何件かこのような形で裁判になっているのもございます。
個人病院等が多いのですけれども、患者さんとのトラブルで病院としては責任がないことに自信を持っている、ちゃんと立証できると認識されているような場合の一つの方法といえます。
ただし、逆に審理した結果、患者さんの言っていることが正しい、ミスがあるのではないかということになれば、逆にいくらいくらの限度で責任があるから払いなさいという判断をすることになります。 債務不存在の訴えを起こすかどうかは政策的な判断も含めて、様々な検討が必要でしょう。
はっきりいって徹底抗戦という明確な宣言ですから患者さんのほうとしては更に感情的になる、それを含めてこの方法しかないということ、この方法が適切であるとお考えになれば法的には可能です。
大きい病院でここまでやっている事例は私には経験がありません。こういう事例は個人病院で何件かある程度です。
そういう場合には、裁判所が色々審議して、必要があれば患者さん側に「あなたはいくら賠償金が発生していると思っているの」と聞いて金額等の特定をし、なぜそれだけ責任があると思うのと、具体的にどういうことが悪かったのと色々と説明して貰って、それを整理した上で病院にもどこが悪いと思っているのか、悪くないのならどこが悪くないのかと整理をしていただいて、ポイントとなることについて証拠調べをして、裁判所がどちらかということを決めていくことになります。

(2) 死因確定のための解剖が拒否された場合について

遺族の立場からすると、今更切り刻みたくないという思いは理解できます。
断られれば仕方ないということになると思いますが、結局原因は分からないということになりかねないということが大きいです。
裁判所としては、そういう事態を前提にした上で、他の医療記録、カルテ・検査結果からどこまでのことが判断できるのかということを認定していったうえで、その事実をベースに医療行為が適切か、不適切かというところを判断していくという方法しかないものです。
裁判所は、捜査機関とは違って、職権で色々な証拠を集めてくることはできず、当事者から出して頂いた証拠を踏まえて事実を判断することしかできないシステムになっています。したがって、前提事実がわからないのであれば鑑定をやってもわからないということになると思いますので、その時はわからないことを前提に責任があったといえるかどうかを最終的に判断せざるを得ない、かなり難しい作業ではありますけれども、しなければならないと思います。
事案の解明義務、患者さんに対して事後の説明をする義務、一般的な説明義務があるのは当然ですが、その際に死因が不明であって、その原因が何らかの事故によるものということが想定される場合には病院として解剖を勧める義務ということを議論する意見も出てきています。
今日、お話いただいたのは、病院として解剖を勧めたけれども断られたという前提ですけれども、解剖を病院が勧めなかったことが過ちであるという主張も最近みられるようになっています。
 
 
4.専門委員制度における病院としての関与
 
(1) 専門委員制度により、医事関係訴訟への具体的な効果や変化について

専門委員制度は、新しい制度で、鑑定のように診療経過のここに問題があるなど意見を断定的に述べていただくのとは違って、裁判所が医療について素人である、弁護士さんも素人であるということから、その知識を専門的な知見で裏付けられた確かなものにするために説明をして頂くというもので、その説明の中身としては医学的な現在の到達状況はこういう状況ですよとか、例えば脳動脈瘤のクリッピング術となれば通常の手技として開頭をこうし、ここのところをこのように切って開けてというような手技を、客観的に説明をしてもらうといった評価・判断にわたらない成書、基本的な教科書に書かれているようなことを素人にわかりやすく説明するということをお願いする。
それをして頂くことによって、こちらが文書だけ読んでいたらよく分からないものを視覚的に立体的に理解でき、基本的な知識をベースに正しい判断に立ち至るために、そういう補充していただく制度です。
今、裁判所には22名の専門委員の方がいらっしゃるのです。
この中で北大の先生も4名おられまして、非常勤の国家公務員として、特定の事件で必要な時に、例えば、脳動脈瘤のクリッピング術では脳外科の先生に来ていただいて、その争点整理、どこがこの裁判のポイントになるかということを絞る手続きに入って頂いて、一般的に手技のどこが問題ですかと説明して頂き、当事者の言っていることと突き合わせて、そういうことであれば脳動脈瘤のクリッピングの手術の手続きがこうであれば、ここがおかしいと言っているのだけれども、このようなことは全然問題にならないということであればその主張を止めたらどうですかという話もでき、無駄な争点を切り離して、核となる争点に切りこんでいくための争点整理ができる。
ただ、その結果として、双方が専門委員の方の説明に納得して頂ければ、専門委員の説明の中身に基づき次のステップに進むことができる。あるポイントで原告側が専門委員の説明がおかしいと思い、違うと述べた場合には、その専門委員の説明がなかったものとして、必要な証拠を改めて出してもらうことになります。
証拠にしません。
そうすると、原告側からの証拠を出していただき、病院は病院側から別の文献をもってきて貰って、双方から新たな証拠を出してもらった上で、どちらが正しいと考えられるかということを別途の観点から調べていくということになります。
原告・被告双方及び裁判所の面前で話をしていただき、人数は基本的に1名であることが多いのですが、複数であることも差支えはありません。例えば、専門領域が、脳神経外科とその患者さんが精神障害をもっていた方でその後の予後に影響があるいうことであれば、精神科のドクターに入っていただくこともありうることです。
普通は1人で足りているというだけで、システムとして1人でなければならないということはありません。
専門委員は道内のドクターになっていただくことが多いのですが、医療行為を行ったドクターと懇意である場合は遠慮していただくことになりますから、そういう場合はできないということになります。
お知り合い・懇意であるということになりますと、公正さに問題が生じることがあり、導入しなかったことがあります。

(2) 専門委員の関与する場面として和解での関与について


裁判所が行うのは主に争点整理で、この裁判のどこに問題があるかということを詰めていく作業です。
他に、和解といって、話し合いの席にも入ってもらうこともあるのですが、その例は多分そんなにないと思います。
例えば、この裁判の帰趨が見えている、鑑定の結果も踏まえて裁判所としては患者さん側の言い分は難しいと、病院に責任があるとは思えないとはっきりしているのだけれども、患者さん本人が尚理解を示さないといったような場合に、弁護士さんは依頼されているから説得の限度がありますので、中立的な専門委員から鑑定書に書いてある内容を解説していただく、かみ砕いて説明して頂き、患者さんがご納得いただければ比較的低額の解決金という程度の和解ということでまとめられる場合もあります。
裁判所と一体になって説得するということはしません。
それをするのは調停における専門家調停委員です。
裁判所として和解を勧告して、当事者双方に話しをしたが、なかなかうまくいかない、理解してもらえない時に専門委員にその問題点を説明して貰って、そういうことだったのだという理解ができれば、話合いができる場合もあるでしょう。これは裁判所と一体ではなく、裁判所からちょっと離れたところから客観的な説明をしていただくということです。
 
 
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