齋藤 和雄
 同窓会を大事にする心
評議員会議長
松本 脩三 (30期)
 

  同窓会に対する思い入れや親近感は、年を経る程につよまるものである。それは得てして年寄りの館と化すると言うか、ともすれば年寄りの悪い所がそこに凝縮する可能性も否定できない。新旧全体の会議には若い世代の代表が十分の数を占めていないと後退する危険性が無きにしも非ずだ。こう書けば偉そうなことを言うなと言われそうでもあるし、又お前も年寄りでないかと、之はまさにそのとおりであるが、評議員会という所は今年卒業したクラスから私のようにまだ漸く生きているクラス迄全部の代表が均等にあい会する所である。その議長をやれと言われると、当然こんなことが頭を過るわけである。つまり年齢構成が均等分布であればそれなりに各意見のバランスをとれということであろうと思う。ただそれだけのことである。年寄りが言い過ぎれば若手層の意見をエクイバレントに引き出す必要がある。
  これには若手層の中で同窓会の仕事に多少の関心があると言うか、もし大事な話が出れば真面目に考えてくれる方々が或数いてくれないと困ることになる。年輩層についても同じことであるが、そちらは大体そういうことに、熱心な人達が多いからこれは程々でよい。
  私がボストンに留学していた頃に「同窓会を大事にしない大学には碌な大学がない。」と彼の地の人達がしゃべっているのを聞いたことがある。北大医学部も創基80有余年を経過し、その出身者が国内の殆ど全ての地域で働いており、各地の他大学で教鞭を執る者もますます多岐・多数となっている。これから数拾年の間に羽搏くであろう若手の方々も、自分の時間の2%か3%でもよいから同窓会活動に頭を貸すと言うか、或いは理解を示してくれることが北大医学部の質を、将来更に高める一助になるものと私は信じている。自分の学校に誇りを持つということは決して愚かなこととは思われない。
  こんなことを考えると私はいつも都留美都雄先生を想い出す。19期である。私がまだかなり若かりし頃で、評議員として会議に出ていた頃であるが、理事長は今からすればこの会のまさに中興の祖である山崎武夫先生(14期)であった。この先生を担ぎ出し、そして自分は副理事長役で支え続けたのが都留教授であった。私はそれよりずっと前から都留先生の同窓会への奉仕の精神に敬服していたが、山崎北海道医師会長と両々相俟ってこの会を隆盛に導いた。山崎先生は北大医学部をトップで卒業された方である。それが何だと言われるかもしれないが事実は事実で、いつも自信をもって行動される方であった。富樫理事長(1期)のあと昭和53年から衆望を担って4期8年間理事長をされたあと、今村先生に席を譲られた。今村先生(19期)も信望の厚い方であった。その時の副理事長が松宮先生(24期)と橋本秀夫先生(専3期)であり、その2年後、同じ今村理事長の副理事長を仰せ付かったのが、橋本先生と私(30期)であった。そのあと約10年余りの間、私は同窓会の役員はひかせて頂き特に関わりのないままに打ち過ぎていたが、平成14年度から奇しくも嘗ては私の前の副理事長であった松宮先生のあとを受けて評議員会の議長をせよと言われ、評議員会と松宮先生の両方に因縁のようなものを感じた次第である。

 
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