各地のフラテ会から

北大同窓会新聞100号記念に寄せて
岩手医科大学教授 盛岡赤十字病院長     西谷 巌(35期)

  70有余年の長い歴史と伝統を誇る北大医学部の幾星霜を報じてきた同窓会新聞が100号を記念して発行されると聞き、はるかにみちのくからお祝いを申し上げます。多くの困難を克服して近代化を遂げた医学部教育施設や附属病院が大学構内に聳えているのを見ました。ここから発信される情報源の同窓会新聞は、道外でも活躍している多くの会員をも勇気づけています。今後、ますます重要な情報、充実した内容を提供する新聞に発展するものと確信しています。
  毎号一面を飾る北国の景色、想い出の風物詩はいずれも同窓カメラマンの高い技術水準を示していますが、同時に懐かしい母校に想いを馳せる一瞬となります。紙面の多くは、新任教授の抱負や退官教授の懐古談などを中心に集まり散じてゆく会員の動向で占められていますが、会員の執筆した新刊書紹介も参考になりますので網羅していただきたいと思います。
  かつて、医学教育の改革が叫ばれはじめた頃、当時の広重力医学部長は、道外すなわち、国の内外で活躍している同窓の教授も多く、情報交換の必要性を指摘しました。今こそ、同窓会新聞もこの一つの媒体となることを期待しています。医療の現状は、ディスクロージャ(情報公開)が強く求められ、医学教育も、その主体性が教官側から学生側へと移っています。道外、国外の同窓生へ学内から発信される情報に加えて、母校への逆情報も価値があると思います。21世紀の医学教育に重要な記事が新聞上に満ちあふれる事を祈念致します。

 

■ 関西フラテ会と研修旅行
大阪大学医学部教授  谷口 直之(43期)

 昭和六十二年、当時の関西フラテ会長故高橋新吾先生(13)とご相談し、しばらく中断していた研修旅行を教務委員長児玉譲次教授(36)を通じて相沢幹医学部長(23)にお願いし再開が決定した。本部のご尽力で財政的なバックアップもしてくださった。折しも、入試制度の改革で北大医学部入学者のうち大阪出身者が2番目に多く、20名をこえる学生が参加した。会長は、その後、高久芳衛先生(15)、現在の駒田盈郎先生(21)と引き継がれ、毎年3月の研修旅行の学生の歓迎会、秋には会員の講演会を開催している。実際の運営は、最近では、中出隆三(30)、小出秀達(41)、川浪進(43)、荒木常男(49)の各先生が名幹事役を勤め、大変活発に活動している。松本明郎先生(69)の努力でホームページも完成し、本部とリンクされることになっている。現在の会員数は二〇〇名を超える。
  研修旅行の企画には、大阪大(中野法彦70)、京都大(浜中一郎69)、神戸大、奈良医大の各医局、国立循環器センター(対馬信子38)、千里救命救急センター(当麻美樹58)、天理よろづ病院(久須美房子62、徳田順之73)、淀川キリスト教病院(藤川晃成45)などにお願いの手紙を書き、時間の予約をしてから学生が( )に記した先生(敬称略)のお世話で各施設を訪問している。北大に学び、他の施設や病院を知らない医学生にとっては、進路を決定するための格好の機会であり、将来的な人事の交流という点でも大変意義のある旅行と思われる。私事だが、私も研修旅行に第2病理の井上和秋先生(35)に引率していただき、大阪大学タンパク質研究所などを訪問した。その旅行記を雑誌フラテに記した記憶がある。当時は、東京、大阪を訪ね、広島のABCC(現放射線影響研究所)が最後の見学地であった。小生にとっては、いまだに当時の印象が鮮明に残っており、このような企画が若い学生諸君の進路の選択に何らかのお役に立てられればと願って、関西フラテ会会員の皆さんに協力していただきながら、お手伝いをしている。なお( )の数字は卒業期を示した。

■ 100号を記念して
沖縄   嘉数 光一郎(47期)

 北大医学部同窓会新聞が一〇〇号記念を迎えられ誠におめでとうございます。遠く沖縄にいても、最近の大学の状況や同窓の方々の近況に接することができ、いつも楽しく読ませてもらっています。季節感漂う一面の写真は目を楽しませてくれます。各講座の動向や新講座の開設の記事、各地フラテ会の様子が分かるフラテ会だより、人事異動が分かる告知版、新刊書紹介、御逝去者氏名の情報も重宝しています。
  北海道と沖縄にはいくつかの共通点があります。日本の北と南の両端に、本州と海を隔てて位置し、県民性はおおらかでのんびりしている。北海道は季節が春、秋、冬の三つしかなく、沖縄は春、夏、秋の三つしかないのも妙に似ています(沖縄からみると北海道には夏がなく、北海道からみると沖縄には冬がない)。北海道には北方領土問題が、沖縄には米軍基地の問題が。遠く離れていても北海道はいつも身近に感じています。今後も同窓会新聞がホットな、楽しい話題を提供してくれるのを楽しみにしています。


■ 岡山からエールを送ります
川崎医科大学教授  佐々木 和信(47期)

 数年前の同窓会新聞に小熊恵二先生が岡山の様子を紹介してくださいました。岡山に医学部だけの同窓会はありませんが、八年目を迎えた北大エルム会に北大全体の卒業生が集まります。大学勤務の方が中心です。今年は農学部同窓会の多い岡山大資源生物科学研究所のお世話で、三月二八日に倉敷アイビースクエアで開かれました。新聞編集委員の永島先生から百号記念の原稿依頼があったとき、”北大エルム会に出席して意見を集約します”と約束したのですが、残念ながら当日急用で出席できなくなって、今回は私個人の感想を書き留めることでご容赦ください。
  定期的に郵送されてくる同窓会新聞は、一面の懐かしい北大構内写真とともに、母校の”今”を知らせてくれる貴重な情報源です。同窓生という幅広い年代を対象としているだけに、テーマの選択にも大変でしょう。定期発行を続ける先生達のご苦労には深く感謝しております。作り手の顔が見えるよう、編集委員会のメンバーや委員会の様子などを新聞で是非紹介してください。長年北大に勤務し、今は他大学で教育と研究に携わっている者は、無意識のうちに北大を離れた時の状況がそのまま永遠に続いているような錯覚に陥ってしまいがちです。カリキュラム、研究体制、大学院構想のこと、講義のシステムも一新されたと聞きます。新しい試みについて、教員の反応・学生の反応など大変興味あるところです。とくに、学生からの視点も記事や感想として載せていただけると、貴重な資料となります。これからも、母校医学部の”今”を発信しつづけてください。

■ 第100号に寄せて
杏林大学教授   松村 譲兒(56期)

 北大医学部同窓会新聞が第一〇〇号を迎えることになった。この機会に、一号から一〇〇号まで一冊の本にするのも悪くない計画かもしれない。しかし全紙面を製本する編集委員の御苦労を思うとやって欲しいとは言いにくい。
  いつが創刊なのか知らないが、歴代の編集委員の努力にはほんとうに頭が下がる。私もかつて編集委員として居座っていたが、何の働きもなく、今考えても、頭が下がったまま寝込んでしまいそうになる。そう考えると、現在の編集委員諸氏に全紙面を製本する計画を実現して欲しいと要求するのはかなり抵抗がある。 順風満帆にみえる同窓会新聞の歴史にも様々な事件があったであろうことは想像に難くない。つまり、この新聞には大きな歴史的価値があり、第一〇〇号を記念して全紙面を製本化することは、北大の歴史を振り返るまたとない機会であると言えよう。しかし、かつて迷惑をかけた身には、強く要請するのも気がひける。
  読者は大胆な紙面一新を望んでいるわけではない、と思う。諸先生や同窓生の消息などに関係する記事が中心となるのは至極当然であろう。となると、やはり一冊の本として読むのも悪くない。でも、編集委員に無理強いするのも悪いので、是非にとは言えない。
  後は編集委員の正しい判断に期待し、適正な価格を実現して頂きたいと脅迫的に願っている。

 

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